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uretano雑記帳 その18

父の運転免許返納

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今年、父が運転免許を返納した。

現役時代父は自動車通勤をしており、家族旅行も基本的に車、休日も基本車で移動と、車と父は切っても切れない関係だった。彼は車の運転を全く面倒に感じていなかったようで、母と関西から青森まで車で往復する旅に出たほど車の運転をいとわなかった。子供の頃、東京の祖母の家に遊びに行くのも父が一緒に行く時には新幹線ではなく車だった。どこかに出掛けるのは基本的に車、長距離でも短距離でも車という人だった。

そんな父に変化が訪れたのは今から7年前。車で片道3時間の長距離運転になる墓参りの帰り、父がポツリと言った。

「もう、長距離運転はしない」

途中私が運転交代を申し出るも断り続けていた父はその日、どうやら自分の限界を試し、限界を感じながら自分の状態を見極める為に運転していたのだとその時に気付いた。

 

75歳を過ぎると、今の制度では免許更新時に認知機能検査と高齢者講習の受講が義務付けられている。前回の更新でその講習を受講した後、父は

「もう次の更新で終わりかな」

と話していた。そして今年、父は80歳の誕生日を迎えることになった。

 

テレビでは連日高齢者ドライバーが起こした交通事故が報道され色々考えさせられている時に届いた免許更新の通知。

近所のスーパーに食べたいものを買いに行くのと、散髪の時にだけ車を運転している父は、徐々に考え始めていた。本当に車は必要なのかと。

 

そして認知機能講習を受講した日。特に問題はないという結果だったが、父自ら私に言った。

「免許を返納する」

話を聞くと、以前より記憶力の低下を自覚したのと、免許更新の度にこれから毎回遠方まで出かけて講習を受ける事がもう煩わしくなったという事だった。

「もう運転は卒業だ」

正直その言葉を聞いて私はとても安堵した。それと同時に、高齢者の更新時の講習には意味があるとも感じた。

親に免許返納を進めるも拒絶されて苦労するという話を時折耳にするが、私の場合は父自ら早々に決断してくれた。自分を客観的に見ることが出来る父に心から感謝である。

 

我が家には父を含め3人運転できる人間がいる。父が免許を返納しても車が必要なら2人で対応できる。そして我が家のエリアは交通アクセルも良く、バスで簡単に駅に出ることができる。しかもバス停まで徒歩2分という恵まれた立地だ。買い物も私がすれば良いのだし、生活に何の支障もない。

多少の不便はあるかもしれないが、運転による自由とリスクを天秤にかけた時、明らかにリスク回避が勝ったのだ。

 

車を処分し、免許を返納した父は

「あー、さっぱりした!」

とまるで肩の荷を下ろしたように晴れやかだった。

長年車を運転してきて大きな事故もなく、正真正銘のハッピーリタイアメントだった。

 

そして、免許返納には色々な特典が付いてきた。1年間バスは半額になり、タクシーは今後ずっと1割引だという。なんと手厚い!

第一これからは車検代、自動車保険、ガソリン代がかからない。年間の維持費とランニングコストを考えたら、バスもタクシーもどれだけ乗れることか!!

免許を返納した父は、今までよりかえってアクティブになり、バスで良く出掛けるようになった。

結果的に良いことしかないという免許返納となった。

 

とはいえ、これは交通機関の利用が容易で、買い物に行ける家族がいる人だからこその恵まれた状態だと思う。

車がなければ食料が調達できない地域の人は、そうそう簡単に免許返納は出来ないだろう。実際、田舎に引っ越した父の友人は車が無かったら生活が出来ないと話している。

 

今年報道された高齢者の事故は街中でのものがほとんどだった。東京、大阪での事故を見ながら、車が無くても生活できるのではないかと個人的には思っている。

ずっと使ってきた便利なものを手放す時、人は恐らくマイナスから考えるものだと思うが、父を見ていると案外プラスの方が多い場合もある。

事故から自分の身を守るために安全で頑丈な車に乗っている高齢者を良く見かけるが、自分が加害者になる可能性も同時に考えて貰えたらと思う。

また、便利な物というのは、その物を使っているはずが、いつの間にか物に使われているのでは?と感じることもしばしばだ。車も、スマホもしかりである。

(余談だが、映画やドラマを沢山予約録画して、HDDの容量が無くなり整理に追われ始めると、いつも本末転倒だなと感じながら時間を使って私は整理している。これぞ物に使われている状況だと思う)

 

父は今、気が向くとバスに乗り街中に出かける。1人で車に乗って出かけるよりよっぽどエコで、安全だ。そして、バスに乗り合わせた人、窓から見える景色を眺めて楽しんでいる。運転をやめることにより、かえって世界が広がったように見える。

運転の緊張感から解放されて今、心軽やかなのだろう。

 

長年毎日のように車に乗り、家族をあちこちに連れて行ってくれた父へ。

心から運転、卒業おめでとう。

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